2011年6月1日水曜日

大嵐

5月30日
生憎の大嵐

接近中と,報道されていた台風2号.
29日の日中には,「台風は熱帯性低気圧に変わりました」と報道されていたため,まあ大丈夫だろうと軽く見ていた.しかし,29日夜から風が吹き出しなんだか嫌な感じに.30日朝には,雨風共に強まり大嵐になってしまった.

数日前から,先日のブログに書いたパオから,雨を恐れてその隣にあった廃バスを持ち主の方の許可を得て改造しそこで寝泊まりしていたのだが,そのバスでも雨漏りしだした.パオの雨漏りに比べればまだマシだが,雨が強まりバケツなどを総動員し対応しなければならいくらいになってしまった.

そんな日でも,学校はあるということだったので,おながわっ子見守り隊をしに出かけた.出かけるとやはり雨風が非常に強くコンビニで買った傘は直ぐに壊れて使い物にならなくなってしまった.

カッパを着て見守り隊

その後,さらに雨風は強まるが,心のケアチームRecovery For Japanの炊き出しの手伝いをすることになっていたため,Recoveryの皆さんと共に牡鹿半島へ.
牡鹿半島は,山の中や海の近くを蛇行した道が続くため,大雨だと危ない場所がいくつもある.山の道は土砂崩れする恐れがあるし,海沿いの道は,冠水する恐れがある.それでも,なんとか通れる道を選び牡鹿半島の石巻市牡鹿公民館へ.
炊き出しは,水餃子.趣味で料理もするというケアワーカーのスズキさんの味付けはすごく上手でとてもおいしかった.ただ,昼時になるにつれ,潮が満ちてきて,雨水も溜まりだし公民館にたどり着けない人も多くあまり多くの人に食べてもらえなかったのが少し残念.

津波の被害を受けた公民館の1階で炊き出し
かなり本格的

ただ,こんな嵐の中でもしっかりと支援し続けるということはとても大切なことだと思った.被災地の方々はただでさえ,毎日不安な思いをして生活している.そんな中でさらに嵐に襲われるとなると,その不安は計り知れない.そんな時に,外からこうやって暖かい食事を提供することで,少しでも不安を和らげてあげることが出来るように思った.
Recovery For Japanなどのボランティアの皆さんは避難所で生活する人がいる限り炊き出しを続けていってもらいたい.そのためには,被災地に行けなくてもボランティアを支援してくれる人がもっと必要だ.炊き出しにかかる費用だけでなく,交通費だけでもばかにならない.間接的ではあるが,それにより被災地の人々にさらに多くのことが出来る.ボランティアの支援も立派なボランティアだな・・・.

なんて考えている間にもさらに雨風は強まり,さらに満潮も近づき,道は至る所で冠水し帰るに帰れないような状態に.
見ていると,雨が風で真横に流れていく.津波の被害で出た瓦礫の中から,発泡スチロールなど軽い物が飛ばされて転がっていく.さらに風が強まり,50×50cmほどのトタンも飛ばされる.トタンが飛んできて,駐めてある車に「ガンッ!」とぶつかる.そんな,今まで見たこともないほどの大嵐に.

それでも,満潮時から1時間経ったら雨風もだいぶ落ち着いたので帰って行くことに.ただ,やはり冠水箇所はいくつもあり,通るのにすごく勇気が必要だった.海は,風のために大時化となり道に波が覆い被さってきていた.本当によく無事に帰れたと思う.

こんな道ばかり 
冠水した道を行く
被さってくる波

やっとの思いで,拠点に帰ってくると,嵐のひどさが改めてよく分かった.パオは嵐により破壊されおり,天井に穴が空き,中が水浸しに.周囲の木は枝が折れ,葉が辺りに散らばっていた.廃バスは,穴は空かなかったが,雨漏りのせいで布団やカーペットがいくつもやられてしまった.さらに,パオの予備の部品が,風で飛ばされて,辺り一面にばらまかれてしまっていた.持つとかなり重く大きい物もあるので相当な風が吹いたことが分かった.

本当に,津波の被害といい今回の大嵐といい,自然の力という物は人間の想像を超えている.私たちも,しばらくはテントの修理や,飛ばされた物の回収などの復興作業をしなければならない.

天井が風で破けパオの中が水浸しに
散乱するパオの部品など 奥は寝泊まりしている廃バス

追記
ここまで,この“ワタナベのブログ@石巻”を本人であるワタナベに代わり書いてきた私ハラダですが,5月31日で一度地元の静岡に戻ります.これからは,その時ワタナベの近くにいる人が書くか,本人が書いてブログを更新します.私がまた石巻に来ることができれば私が書きます.
今まで,見て頂いてありがとうございました.ワタナベの活動はこれからも続くと思いますので,これからもこのブログを宜しくお願いします.

雨のち晴

harada

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