2011年5月28日土曜日

活動報告 杉本富美子音楽教室の演奏会

5月28日(土)
演奏会

今日は,石巻市の郊外にある遊学館へ.
ここは避難所になっており,介護,介助が必要なご老人が多数入居している.ざっと見た限りでは200人程度の人がダンボール箱などで作られたベッドで休んでいた.ここは,明るく,清潔で医師や,看護師,ヘルパーさんなども常駐しているため,避難所としては良い部類なのだと思う.

今日はここで,石巻市で長年音楽教室をやってきたスギモト先生とその教え子さんたちの演奏会が開かれる.スギモト先生は,4月に開かれた渡波中学の入学式で使うピアノの修理の時にお世話になって以来ワタナベと交流がある.

スギモト先生は,若い頃からずいぶん活躍された方で,石巻市ではかなり有名なのだとか.スギモト先生ご自身だけでなく教え子さん達も非常に優秀で,ピアノの全国コンクールに出場するのは当たり前で,全国でも上位に入る子もおり,今日演奏してくれた2人はそれぞれ,高校生の部と小学校の部で全国3位になったのだそうだ.

ただ,スギモト先生は,自信も津波で大きな被害を受けている.市内の自宅は,かろうじて被害を受けなかったものの,教室の1階部分は完全に浸水し,2台あったピアノは海水に浸かりそのままでは使用できない.屋根も壊れ,家具,楽譜,衣装なども残らず水浸しになった,さらに肉親も一人津波で亡くなって,教え子さんも何人か亡くしている.それでも,何か自分にできることをということで,東京に行きコンサートに出て義援金を集めたり,今回のように避難所で演奏会を開いたりしている.

今回は,スギモト先生と高校生と小学生の教え子さん2人が来てくれた.体育館で,何とか手に入った電子ピアノとマイクを使って,避難者の皆さんの前でピアノの演奏や,歌,ちょっと体を動かすような曲もやった.避難者のご老人達もとても喜んでくれた.
被災地の外から来た人が,同様に演奏をしていくということは良くありそうだが,演奏する側も被災者というパターンはなかなか無いのではと思う.そのため,お互いの距離が縮まるのは早かったように見えた.
このような形のイベントは,お互いが仲良くなれ,元気になれるためとても良いことだと思う.
会場の遊学館
今日は雨でした


その他,今日は石巻専修大のボランティアセンターで,ボランティア向けの炊き出しがあり,石巻焼きそばと,那須塩原市の牛丼を頂いた.どちらもすごくおいしくてとても幸福な気分になれた.
焼きそばは,芸能人の内山信二さんが作ってくれていた.こちらに来て,いろいろと「今あそこに芸能人がいるよー」という話は聞いたが,実際に見たのは始めて.どうせなら釣瓶さんとかベッキーとか見たかったけど・・・.
おいしく頂きました


harada

2011年5月27日金曜日

活動報告 橋浦小学校運動会へ向けて

5月24日~

橋浦小学校の運動会へ向けての話

橋浦小学校

 最近,北上川の河口付近にある橋浦小学校の運動会に向けて打ち合わせ、準備を進めている.運動会は,6月5日(土).運動会は,午前で終わるため,お昼以降のイベントをボランティアに任せてもらった.
 午後の部では,炊き出しやフリーマーケット,青空整体などいろいろな企画が現在進行中.

雄大な北上川
河口付近は大体こんな感じに
神社の鳥居も壊れていた

 現在橋浦小学校は,付近の津波の被害が大きかった2校の児童も入っているため3校合同となっている.
 生徒も3倍なら先生も3倍で,生徒も先生方もいろいろと苦労しているようだ.そんな中でも,運動会を開くのはやはり3校の連帯感を高めるため.という理由が大きいらしい.特に,親御さんたちは,居候させてもらっている身という意識が強いらしく,いろいろと遠慮されているようだ,そこで運動会を合同で開くことで生徒達,先生方,親御さん達皆ひっくるめて仲良くなろうという話らしい.

 しかし,例によって先生方も親御さん達も震災の影響で忙しく,まともに運動会の準備をすることができない.そこで,ボランティアがいろいろとお手伝いをさせてもらうことになった.
 具体的には,運動会の準備,必要物品の調達,そして,運動会は午前で終わるので,午後の部の企画,お昼の炊き出しなど.運動会には,生徒だけでも200人以上.親御さん達を含めれば1000人近くの人が訪れる可能性がある.そのため,ボランティアの規模もかなり大きくなるため,綿密な打ち合わせが必要となってくる.

 とりあえず,24日に教頭先生に挨拶に行き,必要な物などを聞き込み.その日のうちに,自衛隊の倉庫に行って物資の中から必要な物をもらって,翌日届けに行った.
 26日には,必要だというテントを探しに先日運動会でお世話になった荻浜小学校へ.荻浜小学校では,快く提供すると言ってくれた.ただ,橋浦小学校はずいぶん遠いのでもっと近くの小学校にあたってみれば良いと,小中学校のリストをもらった.結局,テントは北上中学で3ハリ貸して頂けることになった.

 これからも,運動会へ向けて準備は続く.荻浜小学校の運動会はとても良かったので,こちらも皆さんにとって良い運動会となるように,先生方の力になっていきたい.
再び自衛隊を訪れたり
ボランティアセンターの倉庫を訪れる
預かった物資を小学校に運ぶ


その他,この期間にあった話.
・小学校の給食
 橋浦小学校で,給食が余ったので頂けるということになったのだが,見てみて愕然とした.本日の給食は,コッペパンとジャムと牛乳とゼリー,以上.汁物もおかずもない.これではお腹いっぱいになれない.聞けば,給食センターも被災しているため満足な給食が出せないということだった.それにしても,何とかならないのかと思わずにはいられなかった.子ども達も大きな被害を受けている.
これじゃあ少ないよな

・タイ在住の日本人マッサージ師
 27日,南堺センターで勉強会の打ち合わせ後,表に出たらボランティア風の人に駅はどちらですかと聞かれた.聞くと,駅まで30分以上かけて歩いて行くということだったので,一緒に乗せて送ってあげることになった.
 その方は,タイ在住の日本人で,スマトラ島沖地震で津波の被害に遭い,その時日本の援助隊に助けられたそうで,今回は日本を助けに来たと言っていた.主にボランティアセンターをまわり,ボランティアに簡単な肩もみなどを1週間程度行ってきて,今日帰っていくところだった.
 車の中で,タイでの津波の被害の話も聞かせてもらったが,被害の状況としては今回の東日本大震災での被害も同じような感じらしい.特に,津波に遭った街の独特の臭いは,タイでも日本でも変わらなかったと言っていた.
また,タイの建物は日本の物より作りが簡単だからほとんどすべてが流されてしまったそうだ.さらに,トタンの家が多かったために,トタンが流れてそれが凶器となり多くの死傷者が出たと教えてくれた.
 同じようなことが,世界では起こっていた.今回も世界から助けてもらっているのだから,今度どこかで何かあれば日本が助けに行かなければ.
 駅に着いたら,お礼にと肩もみを少しやってもらうことに・・・.駅前で,人目が気になったが,すごく気持ちよかった.
タイで暮らしているイノウエさん
見守隊も続けてます

最近の活動は,このような感じ.

harada

2011年5月25日水曜日

活動報告 おながわっ子見守隊

5月23日の活動

朝の光

・石巻での住まいについて
 先日までワタナベは石巻市内にある避難所となっているホテルに宿泊させてもらっていたのだが,移動図書館のみずうみ号が来てから,みずうみ号の駐車場になっている石巻市内から少し外れた場所で寝泊まりしている.
 ここは,土地を管理する方の計らいで,無償で使わせて頂いている.電気も水もないが,ゴールデンウィークにはピースボート関係のボランティアが200人もテントを張って泊まったのだとか.

 その跡地をS&Fのみさんと一緒に使っている.ここには,特殊なダンボールでできたパオのような物が建っており,そこで寝泊まりしている.
 テントのように,若干隙間があるためアリなどが入ってきてしまうが,なかなか居心地は良い.

 山の麓で,直ぐ近くには家がないため,夜は真っ暗.だがその分環境は非常に良く,朝,昼はウグイス,キジの鳴き声が響き,野生の藤など様々な草花を見ることができる.

 私ハラダは,ホテルの片付けなどがあったため,22日の晩にこちらに移ってきた.初めての朝.am5時やはり山の朝は非常に気持ちが良く,空気が澄んでいて空とか,木とか何もかもきれいに見える.

パオの直ぐ横はこんな感じ
みずうみ号の中の本たち
パオの中
発電機を使わせてもらい充電

・おながわっ子見守隊
 そして,なぜそんなに早起きをしたかというと.
 この日から,女川第二小学校に通う子ども達の登下校のサポートをする“おながわっ子見守隊”の一員になるボランティアをRecovery For Japan(子ども達の心のケアを目的とした臨床心理師さんなどが所属する団体)の皆さんと一緒に行うことになったため,子ども達の登校開始より前に学校に到着できるよう早く起きた.
 
 女川町に限らず,津波で被害を受けた地域の小中学生は,大体が臨時に派遣されたバスで毎日家の近くまで送迎してもらっている.そのバスへの乗車,降車時の危険から子ども達を守のが仕事.
 瓦礫の撤去などで,大型のダンプカーや自衛隊の特殊車両が多数行き来する道での乗り降りなので,とても危険.安全にバスに乗って,降りてもらうように,子ども達を見守る.
 週三回,朝は,6時半頃,夕方は15時頃,小学校に集まり活動を行うことになった.夕方は大丈夫だが,朝は起きるのが非常にきつい.
 だが,子ども達のため・・・これから頑張ろう.

教頭先生(青い人)から説明を受ける
バス停になっているコンビニから子ども達をのせたバスが出発
これを人数分もらった
女川二小には・・・ 
看板犬“マロ”

・その他の活動
 昼間は,避難所になっている湊中学などに行って,図書館車用の本・マンガの調達や,ニーズ調査.湊中学では,余っている本をたくさんもらえることになった.その他,おもちゃなどが欲しい保育施設との調整などを行った.

余っている本たち

 23日の活動は大体このくらい.

harada

2011年5月23日月曜日

活動報告 東京外大の勉強会

5月22日


せっかくの日曜日ですが朝から雨.

今日は,東京外国語大学の学生さんと,子どもの勉強に不安を抱える親御さんを引き合わせミーティング.
が,移動中に外大の皆さんの車がパンク.まさかまさかと困っていたら地元のお父さんに助けられてしまった.その方は,今は稲井中学の近くで稲作をしているが,昔はタイヤマンだったそうで非常に手際よくスペアタイヤと交換してくれた.
ボランティアをしに来たのに逆にボランティアされてしまった.お礼を言ったらそのまま少し話し込むことになって,この場所での農業の現状をなどを話してくれたので,少し書きます.

石巻での稲作について
農業などをしていて普段から,この土地の風景を見ていた方にはよく分かるのだそうですが,石巻は場所によっては50cmくらい土地が下がったらしい.「50cmの高さの台に乗ったら見える景色がずいぶん違うだろ.それくらい景色が変わってしまったんだよ」そう教えてくれた.
その影響で,田んぼに水を引く用水路を海水がさかのぼってくるようになってしまい,田んぼの中にも塩分が入り込むようになってしまった.今は塩水が入らないよう対策をしたということでしたが,一度塩が入ってしまうとなかなか稲が育ちにくくなってしまう.1〜2年は,通常通りの収穫は見込めないということだった.植えたばかりだという稲を見せてもらったのですが,葉の先の方が少し枯れているように見えた.
市からの補助も,出るか出ないかの基準が曖昧でもしかしたら出ないかもしれない,出てもあまり多くもらえないかもしれないとぼやいてた.
そのように,直接地震や津波で被害に遭わなくても,私たちの知らないところで大きな打撃を受けている方がたくさんいる.ということを実感させられた.


本来の溝よりやたら上に水がある
今年は稲作を諦めてしまっている田んぼも多い

その後,交換してもらったタイヤを履いて,南堺へ.そこで小学生のお子さんの勉強を心配している親御さんとミーティング.
震災が3月に発生し,勉強がストップしてしまったため,前年度の復習などがしっかりできておらず,進級して新しい勉強が始まっても不安が残っている.そのため,ボランティアの学生さんに子どもを集めてもらって勉強会を開いてもらえるとありがたいという.外大では,東北支援のグループを作って,毎週週末に数人をこちららに交代で派遣することになっており,この話に協力することになった.

ボランティアの集会場 南堺センターで打ち合わせ
しかし,ここでも考えるべきことは多く,綿密な打ち合わせが必要.
多くの子供達を集めて,勉強を教えているときに大きな地震が来たらどうするか.誰が責任をとるのか.車で送迎しなければいけないくらい遠くの子が来たいと言ったらどうするかなど.
そのため,とりあえず2〜3人の少人数から始めて,できるだけ大きくしない方向で進めていくことに.学大では先生を目指すような学生さんもいるため,勉強会は評判になりそう.

その後,外大の皆さんと別れ,今度は門脇中学校へ,この日だけ石巻に来ていたプロジェクト結のナカハラさん,シナガワさんと打ち合わせ.プロジェクト結では石巻で拠点とする場所を探しており,今ワタナベが寝泊まりしている場所が候補地に.
ここに結の方々が来ればずいぶん賑やかくなるな.

22日の活動はこれくらい.

東京外大復興支援チームのウェブサイト http://www.tufs.ac.jp/st/club/tufsfortohoku/

harada

2011年5月22日日曜日

荻浜小学校大運動会

各国の国旗ではなく大漁旗で飾られたグラウンド

5月21日牡鹿半島にある石巻市立荻浜小学校の運動会に出席した.
荻浜小学校はワタナベが震災後の比較的早い時期に軽トラックでの物資の配布などをおこなった場所.そのときから交流があったため,今回呼んでもらうことになった.

牡鹿半島は景色が良い
牡鹿半島も,やはり津波で大きな被害を受けた.荻浜小学校がある桃浦も例外ではなく.小学校から一歩出ると破壊された信号機が駐車場に転がっていたりする.また,市街地に比べ瓦礫の片付けも進んでおらず.被害があって以来そのままになっているように見える場所が多かった.このような場所で運動会を開催することはとても大変だったに違いない.

まだ手つかずの瓦礫の山
完全に破壊された集落
校庭の直ぐ横には壊れた信号機

出場した小学生は13人.皆元気いっぱいだった.その13人を,大勢の大人が本気で応援する.
地域の皆さんや,先生方,ボランティアから赤十字の医療団まで参加して,玉入れ,綱引きなどを行った.この運動会を通して,立場や役割の垣根を越えて交流できた.

運動会なんていつ以来だろう.でもとても懐かしくて楽しい気持ちになった.そして精一杯頑張る子供達の姿を見てすごく元気をもらった気がする.きっとその場にいた皆が同じ気持ちだったと思う.

このような大変な場所で大変な時期だからこそ,このようなイベントは諦めないで開催するべきだと強く感じた.本当に良い運動会だった.


本気

元校長のマジックショー

体育館にはこんな絵も

元気なみんな

地域チーム,日赤チーム,ボランティアチームなどに分かれ対戦

大人も本気

踊りがすごかった

harada

みずうみ号

みずうみ号

この数日で最も大きな出来事は,移動図書館車『みずうみ号』が石巻に到着したこと.
みずうみ号は,東京の東大和市が被災地のために半年間使わせてくれることになり,それをS&Fという団体の日本委員会の代表であるモリヨシさん一行が石巻まで運んでくれた.モリヨシさんたちは,今後も週末だけ被災地入りして移動図書館の活動を続けていく.
ワタナベは,主に平日の移動図書館の運営を行うことになっている.

20年前の車だけどまだまだ現役.形も名前もかわいらしくて良い.
私も少し練習で運転させてもらったが,大きな車はやはり扱いが難しい.慎重に運転しなければ.

マンガが多い
本は,一緒にかしてもらわなかったため,中身はこちらで用意する必要がある.とりあえず1000冊ほどはモリヨシさんたちが,東大和市の知り合いの子どもたちから集めてきてくれた.子どもから集めただけあり,漫画が中心.小説なども割と新しいものや人気のものが入っており,これなら人気が出そうな感じ.

みずうみ号@渡波小
今日は,とりあえず試験的に,避難所になっている渡波小学校で図書館を展開.

やはり,図書館車がそこにいるとインパクトが違う.自然に人が集まってくる.さらにモリヨシさんたちは,他にも子どもが喜びそうなものをたくさん持ってきてくれた.シャボン玉に,紙ヒコーキ,竹とんぼ,ハンモックなどなど,尽きることのないネタに驚かされっぱなしだった.さらに,コーヒーやお茶を飲めるセットまで持ち込んでいて,大人も十分にくつろげる空間を作り出していた.

とりあえず,貸出票も利用者登録もなし.借りる人には「次の時返してね」と言って持って行ってもらう.

絶妙な配合で作られるオリジナルシャボン玉
この,図書館車があればすごく良い活動ができそうだ.

ワタナベお気に入り伊坂幸太郎著『チルドレン』


だが,考えなければいけないことはいろいろある.その一つが,中に入れる本のこと.
本は,全国から被災地に集まっているため,各避難所は本にはあまり不自由しない.そのような環境でいかに価値ある活動を展開するかというのはなかなか難しい.

さらに,寄付された本を使用することにしても,活動が終わったときの本の行き先を考え始めると・・・どうしようか答えが出ない.
欲しい人にあげてしまえばいいのだが,それでも残るものは残る.それをどうするか.
各自治体には本はあふれているし,そもそもマンガは受け取ってくれないかもしれない.活動が終わったとき図書館車は東大和市に返さなければいけない.そのときの中身の行き先も考え行動しなければならない.
それが,当面の課題.

中の棚はまだ空っぽ ここにどんな本を詰めるか
そのため,とりあえずは新たに本を提供してもらうことはやめ,現在既に石巻に集められている本を利用していくことにする.

とりあえず,石巻市と石巻市にいる自衛隊に本の寄付の状況を聞きに言った.
石巻市では,地元の県会議員の力で集まった本が数千冊あるということだった.しかし,市宛で届いた本は基本的に小中学校に提供されることになるらしく,市に寄付された本を使わせてもらうことはできない.
自衛隊では,石巻市ではダンボール箱に1箱だけあった.それを頂けるということだったのでとりあえず1箱ゲット.

次は,ボランティア団体宛で届いて使用できていない本をあたることにする.

とりあえず,みずうみ号で楽しいことができていければと思う.

映画みたいな自衛隊のキャンプの中を行く
ヘリコプターを初めてこんなに近くで見た
物資保管庫の中

様々な物資が詰まった保管庫が並ぶ
自衛隊がくれた本
harada