2011年5月18日水曜日

ワタナベのこれまでの活動について -1

ワタナベの震災からこれまでの活動について簡単に記しておきます.
これを読んでワタナベがどんな人で,どんなことをやっているのか少しでも理解して頂ければ幸いです.
ですが・・・本人の記憶がおぼろげな上,バラバラに聞かせてもらった話を勝手にまとめたので多少真実とは異なるところもあるかもしれませんが,大体の流れは分かって頂けると思います.(訂正,追加の必要があればご連絡ください).




〜ワタナベのこれまでの活動について -1〜
−震災から3月末くらいまでの話−
 ワタナベは地元仙台で東日本大震災に遭った.テレビなどで連日報道される沿岸部の被害状況をまのあたりにし,「何か自分に出来ることをしたい」という思いが強くなり,バスが通るようになって直ぐに一人で石巻に入った.


 とりあえず,石巻災害ボランティアセンターに入り最初は泥かきなど,とりあえず出来ることをし,様々な人との触れ合いの中で自分の方向性を決めていった.そのような中で避難所などにおいて特に子供の心のケアが不十分だと感じ,子供達のために出来ることを模索していく.
 そのころ,大阪から同じく被災地入りしていた整体師のタカさんと知り合い,数日間行動を共にする.そのタカさんに,子供達のために行動していたダンサーのグループ(ミホさん,ジェイ君)を紹介され,彼らについて行き子供達との触れ合いを始めることになる.

−3月末くらいから4月はじめくらいまでの話−
 ダンサーのグループが被災地を離れることになり,彼らの活動を引き継ぐ.
 そのころ,ボランティアセンターでも大きな影響力を持つナガオさんと知り合い,め組ジャパンが保有するピンク色の軽トラックを借りることになる.ワタナベはその軽トラックをサンタクロース号と名付け,ナガオさんらから提供された物資(水や絵本など)を各地に配りながら子供達と交流するようになる.
 また,初めの内,ボランティアセンターは物資の供給や,瓦礫の除去などの業務に追われ,被災した子供達の心のケアまでは手が回らなかった.しかし,ワタナベは子供のケアの重要性を訴え,ボランティアセンターでのキッズ部門の立ち上げに大きく貢献した.
 長く被災地にいて活動してきたワタナベは,ボランティアセンターのキッズ部門の中心的な役割を担うようになり様々な人々から声がかかるようになっていく.

続く



参考URL(こちらで分かったものだけ載せます)
石巻災害ボランティアセンター http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10163
ダンススタジオMIHO★JFH http://www.mihojfh.com/
プロジェクト結 http://project-yui.org/


harada

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