2011年5月20日金曜日

ワタナベのこれまでの活動について -3

ワタナベの震災からこれまでの活動について簡単に記しておきます.
これを読んでワタナベがどんな人で,どんなことをやっているのか少しでも理解して頂ければ幸いです.
ですが・・・本人の記憶がおぼろげな上,バラバラに聞かせてもらった話を勝手にまとめたので多少真実とは異なるところもあるかもしれませんが,大体の流れは分かって頂けると思います.(訂正,追加の必要があればご連絡ください).


今回は第3弾.

川を見ると,高校のボート部の練習が再開していた


 クマガイさんと共に渡波中学を訪れてから数日後,ワタナベが再び訪れると,ボランティアの働きのおかげで中学はずいぶん片付いていた.そのまま,そこで入学式の準備を手伝うことに.
 入学式で使うピアノが気になり見てみたが,やはり津波で流されたため,中にゴミや砂が入り込みまともに使えない状態だった.「入学式にピアノは絶対必要だ!」と思い,ピアノの調律師を探すことに.いろいろな人に聞き,石巻でピアノ教室の先生をしているスギモト先生に行き着く.スギモト先生の隣の家が,輸送ボランティアの本拠地だったため,その方々の力も借りて,スギモト先生にピアノを見てもらいに行き,ピアノはなんとか鳴るようになった.


 次の日,ボランティアセンターに帰ってくると,建ててあったテントが強風で壊れてしまっていた.どうしようかと途方に暮れていたら,隣にいたグループに話しかけられ知り合うことに.そのグループは,写真家と看板職人とトムさんの3人組だった.そこで,ワタナベは入学式の看板作りを彼らにお願いすることにした.

 寝床は,整体師のグループのミカさんから紹介され,避難所になっている石巻のホテルマリナにお世話になることになる.こちらのホテルは,石巻市門脇にあり津波で1階部分は完全に水に浸かってしまったため,指定避難所にはなっていないが,オーナーのアベさんの善意から寝る場所の確保に困っている地元住民のために解放されていた.


 それから数日は,渡波中学校の入学式のために活動する.まず,テントが壊れたときに知り合った,グループに看板を作ってもらった.
 平行して,そのへんにいた中学生に声をかけて準備を手伝ってもらった.中学生にはピアノや暗幕の掃除などをお願いした.さらに,ステージの横に飾ってある大きな校歌の歌詞の下部分が津波により禿げてしまっていたので,そこに飾る大きなメッセージを書いてもらうことに.
 次の日,昨日手伝ってくれた子が字の上手な友達を連れてきてくれ,メッセージが完成.そのときの様子は毎日新聞に大きく取り上げられた.
 さらに,ボランティアセンターで知り合ったシブタレ先生,テラダさんも準備を手伝ってくれた.シブタレ先生,テラダさんは,静岡から自分たちの活動の下見のために石巻を訪れていた.2人は,子供達の緊急の居場所の確保を目指して,被災地の子供達の状況を見に来ていたのだが,出来ることがあるのであればと協力してくれた.

 そのように,様々な人たちの協力のおかげで,渡波中学の入学式をなんとか成功に導くことができた.ピアノもややぎこちなくではあるが鳴り,看板やメッセージの評判も上々だった.

 その後,ワタナベは体調を崩す.微熱が続いたため,1週間ほど仙台に帰ることになる.

 そして,5月2日に石巻に戻ってきて,少しペースを落として再び被災地の子供達のための活動を始める.

参考URL(こちらで分かったものだけ載せます)
子供美術工場Agora http://web.thn.jp/agora/ 




ワタナベのこれまでの活動はだいたいこのような感じです.


読んで頂いてお分かりの通り,彼はどこの団体にも所属せず1人でやってきました.そのため,個人としてあらゆる人,グループと関わりを持つことが出来き,このように幅広い活動を展開してこれたのだと思います
また,個人だからこそ,むずかしいことを考えず迅速な判断が出来,行動に制限を付けることがなくより良いことが出来てきたように思います.
ですが,このように彼がやってこれたのは,このブログに出てきたすべての皆さん,出てこなくても彼に関わったすべての人(・・・すべて書けなくてすみません),石巻,女川,牡鹿半島の皆さんのおかげです.これからも,彼を皆で支えていってもらいたいと思います.
そして,少しでも被災地の子供達の笑顔が増えればと願っています.


次からは,過去のことだけではなく,新しい現在のワタナベの活動を書いていきます.
なお,この投稿は今後も加筆修正していきます.

harada

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